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青年の成長 —「主体性」のある大人になるために—

 この地域の生徒の皆さんにとって、日常的に現役大学生や若い社会人を目にすることはほとんど無いのではないでしょうか。保護者の方の中にも、いまの大学生や若手社会人と接することがあまり無い(テレビやYouTubeSNSで目にするのみ)という方がいらっしゃるかもしれません。生徒の皆さんにとっては少し歳上の先輩たちであり、保護者の方にとっては我が子の先をいくモデルケースとなり得る存在である彼らと接する機会がないというのは、実は成長過程においてネガティヴな要素となっている場合があると考えられるでしょう。

 毎日の通学路や休日の外出先で、「数年後自分はあんな風になるかもしれない」とか「ああいう人になっていたい」と感じる対象を多く目にする、というのは、青年の成長において大変に重要な機会になり得ます。モデルとなる彼らが、どんな経験をしてそうなっているのか、日頃どんなことをしているのかということを知り考えることで、自分自身が(保護者にとってはお子さんが)いま何をやるべきなのか、ということが見えてくることもあるでしょう。

 そういった若者に関わってきた/いる私から言えるのは、以前に増して「主体性」や「対応力」といった非認知的な能力(数値化しにくい力)が重要になってきているということです。昔は褒め言葉だった「控えめでまじめなおとなしい子」というタイプが評価されにくくなり、「意欲・好奇心がある」「問題解決能力がある」「客観的思考・判断などメタ認知ができる」「意思決定する力がある」といった人物が評価される世の中になっています(よく言われる「自主性」と、ここでの「主体性」は異なります。その違いについては是非ともお調べください)。

 そういった数値化しにくい能力をどのように測るのか。それは、就職活動の面接で必ずされる「あなたの挫折経験を教えてください」という質問によって判断されます。達成したことよりも、挫折した経験を問われるわけです。それはなぜか。

 

 人は、挑戦していれば必ず挫折を経験しますよね。すべて成功し続ける人なんて一人もいません。つまり、挫折経験が無いというのは挑戦した経験が無いことになるのです。意欲や好奇心のある人間が18年ほど生きていれば何かに挑戦するのは当然でしょうし、また挑戦には必ず何かしらの問題(想定外のトラブル)が生じます。そうしたトラブルをどのように対応したのか、失敗し傷ついた経験をどのように捉えたのか。そこから何を学び取ったのか。上記の質問は、そうしたことを問うているのです。そして、挫折を乗り越えた経験のある人物、すなわち自ら意思決定できる主体性があり対応力があり、責任を負うことのできる学生が、大学や企業から評価されている。

 

 社会のこうした現状を踏まえると、成人(18歳)まであと数年となった中高生の青年たちに対しては、「失敗を恐れるな」と伝え保護者は彼らの挑戦~挫折をただ見守るべきでしょう。小さなことであっても自ら意思決定し、失敗し傷つき、そして自らの力で乗り越えるといった経験を積んでいく。親や教師が近くにいる年齢であれば、挫折を乗り越える手助け(あくまでサポート)が出来るのですから、我が子から失敗を遠ざけるような振る舞いを保護者がしてしまうのは大きな誤りだと言うことができるでしょう。「可愛い子には旅をさせよ」「艱難汝を玉にす(Adversity makes a man wise.)」、という格言につながる論理ですね。

 

 主体性のある生徒は、印象として大人びた雰囲気を持っており、こうした生徒はメンタルが安定していて受験においても成果をあげることが非常に多いです(精神年齢が低くメンタルの弱い生徒は、学力があっても受験で失敗することが多いです)。彼らはしばしば自立心が強く、親に頼らず一人でさまざまな行動に出る傾向があります。素晴らしい進学を果たした当塾の卒業生のなかにも、大学が主催する研究会に参加するため一人で都内まで出向いていた女子生徒や、高校をサボって横浜まで一人で美術展を観に行ったり同級生と千葉までキャンプに行った男子生徒がいました。彼らのこうした行動の裏には、「電車を乗り間違え大変だった」とか「移動途中で腹痛になり、途中駅で降りて薬を買ってから再度会場へ向かった」とか「都会の人の多さに酔ってしまい、駅のベンチでしばらく休んでから移動した」といった、保護者同伴では味わえない経験をしています。くだらない話のようですが、意欲・好奇心が見える行動であること、対応力が鍛えられていることは間違いないですし、自ら責任を負っている様子が見える、青年らしい良い挑戦の一つだと捉えられるでしょう(「挑戦」と言われると大それたことを想像しがちですが、この程度のことから始めれば良いのです。またこれらは教師や保護者からの提案ではなく、生徒自ら希望した行動であるということがなによりも大切なポイントです)。

 

 さらに私の大学時代の友人が国立大附属中学に通っていたときのエピソードを紹介します。彼女は、小学生の頃から学校の最寄りまで路線バスで通学していたそうですが、ときどき見かける大学生(有名私大のバッグを持った綺麗な女性だったそうです)の読書姿に憧れ、それから読書を趣味にし勉強に力を入れるようになったと言っていました。都市部では小学生の頃から一人で公共交通機関を利用し、さまざまな人やものを見て、無意識のうちに大人になっていく機会がある。それを、慣れないから危ないからといって経験させないのは、我が子を未熟にしておくだけの振る舞いと言えるかもしれません。高校卒業後、主体性や対応力を求められる年齢になったとき、さまざまな意味で”豊か”なグループ(大学や就職先など)とのギャップを感じ困るのは生徒本人ですから。 

 つまり、学校と家庭だけで教育は不十分であるということです。私たち周囲の大人ができることは限られている、その事実を受けとめ、友人や先輩などとの人間関係、街で経験するさまざま事象、ワークショップやボランティアなど外部のコミュニティにおいて我が子を成長させてもらう、という意識が保護者の方にこそ必要かもしれません。

 そして、我が子に対して何ができるのか、ではなく、我が子が社会に対して何をすることができるのか(どんな社会貢献ができるのか)、を問うべきでしょう。子供を受け身にさせているのは周囲の大人かもしれません。青年たちが主体的にこの社会と関わっていくことこそ目指すべき姿であり、周囲の大人が促すべきテーマであるはずです。

 

 というわけで、当塾としてもそうした成長に貢献するため、GWを利用して卒業生(早稲田大1年)に登場してもらいました。写真のような小規模な交流会を学年ごとに何度か設け、一方的な講演にならぬよう生徒の方からも質問しやすい対話の場をつくりましたので、在塾生の皆さんが刺激を受けてくれていることを願っています。そして今後もこういった機会をつくるようにしていきます。

早稲田大生との対話

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